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戦争は良くないと頭では理解している。
しかし、どうしても関連したアイテムを収集してしまう。多分、幼少の頃に刷り込まれた記憶が根底にあるのだろう。
 刷り込まれた記憶
 テレビ・メディアでは「コンバット」「ギャラントメン」「頭上の敵機」「ラットパトロール」「0012捕虜収容所」等々
また40年以上前のテレビ局はまだ自主制作番組が少なく昼間には穴埋め的に大戦関連の記録映画をしょっちゅう流していた。
これらも印象として残っているようだ。
映画では「ナバロンの要塞-1961年」「史上最大の作戦-1962年」を始め「大脱走-1963年」「633爆撃隊-1964年」「大列車作戦-1964年」「バルジ大作戦-1965年」「レマゲン鉄橋-1969年」「空軍大戦略-1969年」等の戦争スペクタクルものが豪華俳優陣を配して1960年代に数多く制作された。
また危険な発想かも知れないが使用された道具(武器)の純粋にデザイン的な魅力と言うのも理由かも知れない。
短時間で勝ち抜く為のデザイン、その設計には極限状態の制約が課せられ想像を絶する環境だったに違いない。
現代のデザインを拝見すると、あまりにも制約が無さ過ぎて間延びした様な物たちが溢れかえっている様に思える。
制約が無いと装飾に走ってしまうのか、人間ってギリギリのところで真価を発揮する生き物なんじゃないだろうかとも思う。

30年以上前に制作した「Me109-G JG3 "Udet"」 Revlle 1/32 Me109Fのキットを改造?
F型の箱は残っているのだがG型を購入した記憶も箱も無い、おぼろげな記憶ではFのキットにグスタフの取ってつけたようなパーツが入っていた様な気もする。キャノピー後部は間違いなく自作だ。Gはやっぱりガーランド風防でしょ。今一度、資料を見るとガーランド風防はおよそG6から採用された様で大きな違いとしては垂直尾翼が木製で大型化し上端の斜めの切れ込みが無くなり垂直になっている。為に、これは怪しいG型である。
小遣いを叩いてピースコンを購入、勢いで作った記憶がある。今見ると稚劣な制作技術だと思うのだが実は現在も全く進歩がない。いや、むしろ集中力は昔のほうがあったんじゃないのかと、そして純粋に作る事自体を楽しむ事が出来たのも過去の事かしら
でもまあ良く生き延びたものだ。20年くらい前に甥に撃墜されてから修理せず屋根裏に放置されていた。 2009/10/16


■P-51 ムスタング
完璧な傑作機
何不自由ない優等生の様なやつ(初期型は大変だったとしてもマーリンエンジンとの運命的な出会いと言う運もまた特別な生まれを象徴している様でムカ
ツキますな)D型だけで8,000機近く生産されたが、それで第二位だそうだ。えっ何、一位は?P-47らしい、う〜ん戦闘機のキャデラックか、こいつも嫌いだが、やっぱり作ってる。


■JV44 主力の戦闘機をMe262で編成した防空部隊を防空したD-9
終戦間際、アドルフ・ガーランドは空軍上層部との対立の結果、戦闘機隊総監を解任され、中将と言う階級で一連隊長としてJV44の指揮官となる。
その部隊とは


■可動式履帯
簡単に言うと「キャタピラ」
主に「モデルカステン」のキャタピラの紹介
「モデルカステン」昭和45年前後に小中学生で当時タミヤから出始めた戦車のプラモを作っていて、その後、仕事やら子育てやらで模型の世界から遠ざかっていて、最近、ふと「もう一回、作って見ようか」と言う世代には馴染みの無い名前
あらかじめ申し上げておきますが、戦車の本体の写真は御座いませんのじゃ・・・・・私「キャタピラ・フェチ」とでも申しましょうか


■始まりと終り
アドルフ・ガーランド著、ドイツ空軍の誕生から終焉までを豊富な資料と高度な分析で客観的に記述した内容の名著


■戦車と戦う人間 
1916年9月15日、イギリスからフランスに向けて完全極秘のうちに送られていた59輌の戦車が膠着状態の続くソンムの戦闘で初めて姿を現した。

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