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TOYOTA 2000GT Coupe White 1/18 Auto art

概要


 TOYOTA 2000GT Coupe White 1/18 Auto art

1960年代、終戦からおよそ20年を経てようやく基本的な部分での復興も整い世の中は高度成長時代へと進んで行った。
自動車産業に於いても更なるモーターリゼーションへの流れが東京オリンピックや高速道路網の整備の開始などにより加速された。
モーターレースもこの様な流れの中で黎明期をむかえる事となり世の中の関心を意識して各自動車メーカーもこぞってラインナップにスポーツカーを用意し始めた。
代表的なものとしてはプリンススカイライン、ホンダS800、日産フェアレディなどだった。
しかし大手自動車メーカーであるトヨタは大衆乗用車であるパブリカをベースにしたトヨタスポーツのみと言う状態で企業のスポーツカー部門イメージリーダーの存在の必要に迫られていた。
この様な背景の中1964年9月、型式名「MF10」の開発がスタートした。


TOYOTA 2000GT Coupe White 1/18 Auto art

ボディ、シャシー、サスペンションは総て新規設計でエンジンについてはクラウン用として量産されていた直列6気筒7ベアリングSOHC「M型」のブロックを流用しヘッドの開発はヤマヤ発動機が担当する事になった。
ボディデザインについてはドライビングポジション、前後重量配分、要求される車両性能などの条件を設定して要件を満たす方法で行われた。
その際、コンセプトが非常に似ているジャガーEタイプに対して相似してしまわない様、特に配慮されたと言う記事がCG 1967年2月号 特集「トヨタ2000GTとその生いたち」に書かれている。
ボディデザインへのこだわりについては固定式フォグランプをグリルと一体式にした事で、あと付けのランプの必要を無くすと言う発想にも表れている。

TOYOTA 2000GT Coupe White 1/18 Auto art


こうしてトヨタ2000GTが開発開始よりおよそ1年という短期間で1965年10月、第12回東京モーターショーで一般公開された。
X型バックボーンフレームに四輪独立懸架、前後輪コイル支持によるダブル・ウィッシュボーンサスペンションと言う本格的なシャシー廻りに日本初の4輪ディスクブレーキを装備
三国工業がライセンス生産したソレックス型ツイン・キャブレターを3連装した1988cc直6DOHC-3M型エンジンは最大出力150ps/6600rpm、最大トルク18.0kgm/5000rpm、最高速度220km/h、0 - 400m15.9秒と言う当時としては素晴らしいパフォーマンスを実現した。


TOYOTA 2000GT Coupe White 1/18 Auto art

この短い期間での完成についてはヤマハの持っていたレーシングカーについてのノウハウは当然あった事は間違い無いだろう。
実はヤマハはこの開発の直前まで日産と共同でやはりスポーツカーの開発を行っていたが日産側からキャンセルされてしまっていた。
実に絶妙のタイミングと言えよう。
しかしCG1967年2月号 特集「トヨタ000GTとその生いたち」では、あくまでトヨタがイニシアティブをもって製作に当たったと書かれている。
第12回東京モーターショーで一般公開され大きな反響に自信を得たトヨタは市販車の生産に踏み切った。
そして本格生産についてはヤマハ発動機に委託された。



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第14回東京モーターショー記念出版「自動車ガイドブック」が手元にあり2000GTの販売価格は238万円で、カローラ4ドアデラックスは52万円、スカイラインGT-Bは94万円、マツダ・コスモスポーツは148万円、乗用車の中で一番高額なのはニッサンプレジデントD仕様 V8 3988ccで300万円となっている。
資料として厚生労働省の賃金構造基本統計調査からサラリーマン年収の年次推移で1967年当時の金額を確認すると531,800円と言う数字が表記されている。
年収の4倍以上のクルマとは
今、238万円だったらムリしてでも買っちゃうのだが・・・・・
こうして2000GTは1967年から1970年までの間に337台が生産された。


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トヨタは第12回東京モーターショーで一般公開され大反響だったトヨタ2000GTをスポーツカーとして更に印象付ける為、レースへの参加、タムトライアル挑戦と言う戦略を実行した。
しかし2000GTは、あくまで量産スポーツカーであるというスタンスだったので極端なチューンは行われていない。
この事はやはりCG1967年2月号の記事の中で首脳陣からの指示として「乗り心地に影響するので、あまり重量を軽くするな」にも表れている。
同様のレイアウト構想から作られたジャガーEタイプに相似しないと言う苦労も、このような独創性を持ったデザインとなり結実したわけだ。
ボディデザインに関して発表当時は外国人デザイナーの関与も取りざたされた様だが、のちにこの説は完全に否定されデザインはトヨタ独自のものであった様だ。



スペック



TOYOTA 2000GT Coupe White 1/18 Auto art

エンジン:1988cc 3M型直列6気筒 DOHC
駆動方式:FR
最高出力:150ps/6600rpm
最大トルク:18.0kgf・m/5,000rpm
サスペンション:4輪ダブルウィッシュボーン(コイルスプリング)
全長×全幅×全高:4175mm×1600mm×1160mm
ホイールベース:2330mm
車両重量:1120kg



モデルについて



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1988cc直6DOHC-3M型エンジンもきっちりと再現されている。


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ヤマハとの関係で、よく知られている内容としてはエンジンヘッドの部分の製造だが内装についても例えばローズ・ウッドを使用したコンソールパネルやウッドステアリングなどピアノ製造のノウハウが活かされている。
コンソールパネルのローズ・ウッドは1枚板では年数が経つと反りが出てしまう為、あえて3枚の合半として時間がたっても反りが出ない工夫をした様だ。


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コンソールパネルについては、もうひとつ、手で叩いた時の音、響きにまでこだわったと言う事だ。


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試作車はワイアーホイールだったのだが、レース挑戦の際の練習で長距離を高速で走破するにはメンテナンスが大変な事が判り急遽マグホイールを新規に製作したとの事で形状は量産タイプとは若干、違うらしいのだが基本は同じそうだ。


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エキゾーストは3気筒ごと左右に分かれた2本のままテールまで伸びている。これって言うのが本当の意味のデュアルマフラーだろう。
またテール・ライトについてはマイクロ・バスのパーツを流用したとの事なのだが、それにしては中々良いデザインで当時の技術者の心意気が窺われる。
2016/05/09 更新


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