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トヨタは第12回東京モーターショーで一般公開され大反響だったトヨタ2000GTをスポーツカーとして更に印象付ける為、レースへの参加、タムトライアル挑戦と言う戦略を実行した。
TOYOTA 2000 GTの主な戦績としては
■第3回日本グランプリ 1966.5
富士スピードウェイ 3位 細谷四方洋(1位 R380 砂子義一 2位 R380 大石秀夫)
■鈴鹿1000kmレース
1966.6 鈴鹿サーキット 優勝 福沢幸雄/津々見友彦、準優勝 細谷四方洋/田村三夫
■富士24時間耐久
1967.4 富士スピードウェイ 優勝 細谷四方洋/大坪善男、準優勝 津々見友彦/鮒子田 寛
■富士1000kmレース
1967.7 富士スピードウェイ 優勝 細谷四方洋/大坪善男
紹介するモデルは富士24時間耐久レースで準優勝した2号車( 津々見友彦/鮒子田寛 )




レースは33台出走、完走20台で優勝した細谷四方洋/大坪善男の24時間コースタイムは走行距離3234q、平均スピード134.75q/hだった。


3位・トヨタS800(田村/川合)
4位・ベレット1600GT(若林完治/松田康史)
5位・フェアレディ(佐藤/土屋)
6位・ミニクーパー(伊能/見崎)

3位以下の車種、2000GTと比べると、すごく身近で、プライベーターでも、何とか頑張ればレースを楽しめるような雰囲気がある。
現代ではとても考えられない事だ。
自動車レースも企業戦略の一部で、経済効果がなければ即中止されるこの世の中しょうがないとは言え何とかならないかねえ人間って数字だけじゃないんだから



カテゴリーと排気量別に並べられた33台のマシンに向かってドライバーが一勢にダッシュするルマン式スタートで午後4時レースは始まった


当日の気象条件は夕方になり霧が出て、夜には雨が本降りとなったようでレースは極端に視界の悪いコンディションだったようだ


それまでトップを走行していたがワイパーのトラブルでピットイン、順位を下げてしまったが持ち直し堂々の準優勝となる。

 

 


量産車とは趣きが違う事が大きなフューエルキャップ、ドアに取り付けられたナンバー灯、ぶっきらぼうなエクゾーストパイプなどで強調されている


この頃のワークスカーはミッドシップがすでに主流となっており、さすがにフロントエンジンの市販車ベースでは優勝は難しいとの判断で1968年からはワークスカーの座は「トヨタ7」へと引き継がれていく。(個人的には「7」は好きではないのだが本当に勝ちを意識すればああなるのだろう。)
トヨタ2000GTが活躍した時代は国内メーカーのほとんどが自動車レースの経験が無く、暗中模索、試行錯誤の繰り返しでトラブルも初歩的な内容が多く、冷たい目で見れば、お粗末と言わざるを得ないが、この時、参加していた人々には今では想像もつかないくらい熱い情熱がみなぎっていたのだろう。
まことに羨ましい限りだ。



    

1/18 TOYOTA 2000GT Coupe White Auto art
 
    1/18 TOYOTA 2000GT SCCA 1968 Auto art


 1/43 TOYOTA 2000GT kyosho vs Ebbro




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